『空気を読む』ってなに?ほんとうに大切なことかしら。




 

空気を読む。

 

 

空気を読むってなんだろう。
あなたはどう思いますか?

当たり前の事を言うようだけど、
「空気」なんて読めるものじゃないよね。

じゃあ具体的には何を表した言葉?
違う言葉に置き換えるとしたら何だろう?

 

結局さ、
その場に居る人間の感情、思いを察する
ってことじゃないかと思うわけ。

 

ちなみに、
「空気を読む」という日本語を、
英語に訳することは出来ないんだって。

ピッタリな言葉はないから。

 

1番近い表現で、
Read between the lines
「行間を読め」、って意味だそうな。

言葉と言葉の間を読めっつー話だから、
よりニュアンス的に訳すなら、

言葉だけでは表し切れていない思いを汲め、察しろ

みたいな感じだろうか。

 

空気を読め、とはやっぱり違うよね。

 

「空気を読め」は、

たとえ突然入った部屋で、
誰一人、言葉を発していない状況でも、

雰囲気でその場の人間の感情を察しろ!的な
ニュアンスに感じるもん。

 

面白いなぁ、と思うのよ。

 

だって逆に日本語では
「Read between the lines 行間を読め」、
その表現にピタリと来る言い回し言葉は
無いと思うの。

いや、そりゃ日本語は膨大な数の語録があって、
今みたく容易に訳することも、ニュアンスを
表現することも出来るんだけどさ。

 

要は「空気を読め」みたいな言葉。

ポピュラーに使われる為に洗練されてって
出来た言い回しとでも言うか、
誰もが知る”一文″で出来た言葉。

「Read between the lines」にピタリとくる
言葉は無くないか?
っつー話ね。

 

いや面白いのはそこじゃなくて、
ここからなのよ!

 

 

「言葉の裏を読め」

 

日本語にはこんな言い回しの言葉がある。

 

裏って…!!

ようするに表向き発している言葉は建前で、
本音はちげーよ。
ってことだよね。(こわっ)

 

さっきも言った通り、日本語には膨大な語録が
あって、言葉だけで多くの微妙なニュアンスを
表現することができる。

 

くらべて英語の語録数は日本語の三分の一以下
って言われていて、

「1つの語録」で色んなニュアンスを他者に
伝えるために、

身振り手振り、ジェスチャーを使った
大きな表現でのコミュニケーション文化
なったのだと考えれば、うなずけるわけです。

 

『行間を読め』、なんて言葉が出来たのも
「なるほどっ」と、分かる気がしない?

表情やリアクションでの表現を使えない、
”文章媒体”を指すような「the lines 行間」て言葉が
チョイスされたことにも納得。

つまりその語録数では、言葉だけでは表現する
に、いささか不十分なのだろう。

 

じゃあさ、

言葉だけを使って、大抵の思い、ニュアンスを
表現できるはずの日本人が、

言葉に思いを乗せないっつーのは何なの??
どうしてなのよ!??

 

アメリカ人が言葉で足りない分をジェスチャー
まで使って必死で伝えようとしてるっていうのに、

言葉だけで事足りる我々が、
言葉の力を放棄するのはナゼなんだ!と。

 

 

なんで「裏」なんて読まなあかんねん!

なんで「空気」なんて読まなあかんねん!

『言葉』に乗せてくれやーーーーー!!!

 

 

って。

思いません?笑

 

わ~っ☆ふしぎっ!なんでだろ~~っ??
おもしろぉいっ!

つって、面白がってるだけじゃ記事にならんので、

考えてみました。

 

 

 

きっとね、

 

言葉が豊かすぎるからだと思うんだ。

 

 

 

んーーーー???

 

矛盾してるーーーーっ??

言葉が豊富なのにナゼ使わん、て話だったん
じゃねーのかよ、と?

 

 

いや、逆に言えばさ、

言葉に頼りすぎた為に、
それ以外の手段での表現が、ひどく疎か
になって来てしまったってことですよ。
われわれ日本人は。

 

意図的な表情やリアクションで思いを表現
するっつーことにさ。
おそろしく不慣れで不器用だよね。

 

だってさーっ、
ディ〇ニー映画のキャラみたいな顔、できる?


(こんな感じとか?フフン♥みたいな?)

表情を道具に使って伝える、っつー立派な
コミュニケーションだけどさ、
あんなん日常でやったら
「顔芸かよっ!」ってツッコまれそうだわっ(笑)

 

そんなシャイな国民性。

 

そしてやっぱり、
「なぜ言葉に乗せない??」って言われたって、

言葉にしてハッキリと発してしまうには、
どうしても憚られる場面っていうのがある。

 

勿論それは日本人に限った話ではないでしょう。

 

だけど日常的に、言葉以外の表現を使っている
欧米人などは、

「言葉として発しない」という選択をしても、

言葉以外の表現で

相手にはっきり表示することも、
滲ます程度に留めることも、
まったく見せないよう振舞うことも、

自分で選択し、表現することができる。

 

しかし言葉に頼りまくり、乗っかりまくりの
われわれ日本人は、

言葉を取り上げられた途端、どうして良いか
分からなくなってしまう。

 

だってほかの表現持ってないもーん!!

 

「口に出すには憚られるな…」

「でも、隠したいわけじゃない。いや、
むしろ本当は伝えたいんだけど…」

 

そんな時、途端に選択肢を失った我々は
思うわけです。

 

 

「察してくれ…!!」

 

 

(笑)

 

まぁこんな「発信下手くそ同士」でコミュニ
ケーション取ってきているんだから、

発信機がポンコツ性能なら、
せめて受信機は高性能にしないと成り立たない
だろう、と。

 

その「努力」の賜物かもですな。

『空気を読む』、『言葉の裏を読む』

なんていう、完全受信機よりの言葉が出来た
のもさ。

 

 

 

だけど

わたしね、

 

ここで1つ言いたいの。

 

 

発信(主張)下手で、受信(察し)上手
ゆえに発達してきたともいえる、
優しく協調性重視の日本人の国民性って、

 

とても美しくもあるけれど、

醜く哀しくもあると思うんです。

 

 

もっと言ってしまえば

空気を読まない者がとされるような、
いわゆる”出る杭は打たれる”的な

主体性に欠ける
集団的な日本人のマインドって、

時に、いかがなものか?と思う部分も
あるんですよ。

 

勿論、

ここは読んどけよ!!空気!!

って思う時もあるし、一概には言えんのですが。。

 

でも「空気を読む」って言葉の、
大切にすべき意味は、
冒頭のほうでも書きました、

相手・人間の感情、思いを察すること
だと思うわけで。

 

集団の中で流れる雰囲気。
それを「空気」と呼んでいませんか?と。

それは少し違う…、
似て非なるモノだとおもうんです。

それ咄嗟に同調して合わせなければ
行けないことを

 

「空気を読む」

 

というのなら、

それのみを美徳とするのなら、

 

それは何だか
とても哀しいことに思えるのです。

 

 

みんな本当は分かっているんだけどね。

その証拠に、多くの人に支持されている漫画や
ドラマのヒーロー達は、
意志が強く、集団意識を飛び出し、自己主張出来る
キャラクターであふれている。

だけどそれを
「しょせん非現実」「現実では無理」
ひいては
「自分には無理」

と考えてしまうことを、
当たり前であり、普通だと思ってしまう事が
問題な気がするの。

 

 

だけどね、

さっきの、

必死でせかせかと「受信機」の性能を
高めようと努力してきた
日本人のイメージを思い浮かべたら、

可愛らしく、愛おしくも感じるのよ。

 

せっかく豊富で素晴らしい言葉と、高性能な
受信機を持っている私たちなのだから、

別に、欧米人のような発信機も作ろう!とは
思わないけど、

 

「ここは自分は発信したい。しよう!」

 

っていう意志の力マインドは、

大切に磨いていくべきモノだと思うんだ。

 

なんだろ?

『大和魂』的な?イメージ?

 

それ在りきで初めて、

「動と静」でいうなら、

「静」の表現が美しいモノになると思うのよ。

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